年末の近くになると、来年の暦が気になることってないですか?
休みがどうなっているのかとか自分や家族の誕生日の曜日なども確認したりして見ることがないですか?
管理人がこの間、本屋で来年のカレンダーを見ていた時に2月が29日になっていたので、来年は閏年なんだなあとなんとなく見ていた。
ふと、その時、普通の年でも2月は日数が少ない。今までは当たり前と思っていたが・・・
- はじめからそうなのか?
- 2月だけ日数少ないのはどうしてなの?
- 閏年は他の月でもいいのでは?
- 8月だけ日数が多い影響なの?
と言う疑問を持ち調べてみました。
暦の誕生と種類?
今、世界的に使われている暦は、グレゴリウス暦です。
これは、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦法で太陽暦です。
かなり古い時代の暦を現在も使っているのです。
実は、今の暦は古代ローマから派生し現代に至っている。
その歴史としては、
↓
ヌマ暦・・・・・・・太陰暦、一年が355日、閏月は2年に一度。
↓
ユリウス暦 ・・・・太陰太陽暦の採用で閏月の導入、閏年を4年に一度。
↓
(ユリウス暦アウグストゥス改暦)
↓
グレゴリウス暦・・・現在の使用されている暦
となっています。
太陽暦と太陰暦の違いについて説明しますと・・・
- 太陽暦とは、地球が太陽を回る日数を一年としいる。
- 太陰暦とは、月の満ち欠けの周期を元にして一年としている。
太陰暦を採用していたヌマ暦の一年は、355日となり本来の一年の比べて短かったので2年に1度に閏月を設けていた。
政治的都合や戦争などで実施されなかったりしていたために、暦と季節がずれてしまったので、改暦をした。
それが、太陰太陽暦というものでユリウス暦です。
このユリウス暦は、ユリウス・カエサル、英語名では、ジュリアス・シーザーが改革して作ったものなのです。
これでも一年の誤差は正確には解消しきれかったが、生活上大きな弊害もなかったのか長く採用されていた。
しかし、キリスト教にとっての復活祭の日付は、重要で春分の日を基準にしていたのです。
しかし、ユリウス暦では10日のズレが生じていたので、それを解消するためにグレゴリウス暦を導入した。
以上が暦の歴史なのですが・・・
実は、これが2月だけ日数少ないとどう関係する?と思いますので、その理由を見てみましょう。
2月だけ日数少ない理由とは?
最初の暦のロムルス暦では、神様の名前で10ヶ月を割り振っていた。
例えば、
最初の月は、戦いの神マルス「Martius」31日、
次の月は、美の女神アプロディテ「Aprilis」 30日、
次の月は、豊穣の神マイア「Maius」31日、
次の月は、結婚の神ユーノ「Junius」30日
この月の名前は、今の英語の月名の語源となっている。
最初の月は、現在の3月のMarchとなっている。
どうして、10ヶ月で終わっているのか言うと冬の期間の約60日間は、農業をしないので月日の割り振りは、特にいらなかったために一年を10ヶ月とした。
そして、一年の始まりは、春の季節ということにした。
その後、ヌマ暦が誕生する。
ヌマ暦は、Ianuarius(英語のJanuary)とFebruarius(英語のFebruary)を追加することで、一年の月数を設けることにした。
しかし、その時の一年の始めは、やはり春の「Martius」でした。
しかも、偶数が不吉とされて29日と31日しかなかった。唯一、最終月Februarius(英語のFebruary)だけ28日とした。
Februarius(英語のFebruary)お祓いや清めの月といった宗教行事の月とされていた。
また、2年に1度に閏月の際には、年末のFebruarius(英語のFebruary)の日数は、28日でなく、23~24日にして、翌月に27日間のうるう月を追加した。
これでは、2年に1度の13ヶ月となり、年末が増えるという不都合が生じたり、戦争などで実施されなかったりしたので、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が改暦を行ったのは上述した通りです。
その際に、ジュリアス・シーザーは、一年の始まりをヤヌス神Januarius(英語のJanuary)からとした。
ヤヌス神Januariusは、ローマの守護神なので、一年の始まりにふさわしいと考えて最初の月にしたようです。
ヌマ暦では偶数を不吉だったが、そうとはせず、31日と30日という大の月と小の月にした。
しかし、現在の2月に当たるFebruarius(英語のFebruary)は宗教行事が多く、それに合わせるために28日とした。
4年に一度の閏年には、ヌマ暦の慣習を受け入れて2/23と2/24の間に入れて一日増やして29日間とした。
このような理由で、2月が日数が他の月に比べて少なくなっている理由です。
ユリウス暦をまとめると
- 1月を年の始めとする。
- 大の月は31日、小の月は30日を原則とする。
- 1月を大の月とし、以後大の月と小の月を交互におくが2月だけは例外とする。
- 1年を365日または、366日として2月の日数で調整する。
- 日数で調整は4年に1度、1日の閏日を入れるのは2月とする。
- 閏日が入る場合は、2/23と2/24の間に1日入れて29日にする。
でも、潤年の閏日は2月以外の月ではだめなのかという疑問がありますよね?
閏年は2月以外の月ではだめなのか?
それは、やはり、ヌマ暦での長い間の慣習からそうなったのしか言えないです、
生活様式をガラリと帰ると、市民生活にも影響しますので、そのまま以前の風習を受け継いだのでしょう。
2月は、宗教行事ばかりでなく、もともと年末の調整月として定着いたために、他の月では駄目だったのでしょう。
しかし、一方、もともと偶数月の8月に30日が一日増えたからだという説も多いので、それも、調べて見ましょう。
8月だけ日数が多い影響か?
ほとんどの次の説が多い。
ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが自分の誕生月が日数が少ないなので、強引に増やしたとなっているが本当にそうだったのでしょうか?
しかし、平和なローマを実現した功績もあり、ラテン語ではアウグストゥスを尊厳ある者を意味する。
アウグストゥスは、独裁政治をさせない仕組みづくりなどに尽力したようです。
しかも、元老院より国家の父の称号まで与えられている。
つまり、ローマ帝国の礎を創った偉大な皇帝のです。
大叔父のジュリアス・シーザーの名声を神格化して、7月となった経緯があった。
だから、アウグストゥスも同じように神格化して、その偉大な功績を記念して元老院が月にしたのが真意と言えます。
ジュリアス・シーザーの7月の翌月8月に日数を1日増やすことで賞賛した。その分、翌月の9月を減らしたと考えるのが自然と思います。
ですので、8月のですお陰で2月の日数は少なくなったということはないようです。
最後に
カレンダーには、人類の生活には欠かせないものですが、月日によって季節を知り予定も計画できる。
それ故に、日常生活との結びつく月のほうがいいですね。
明治時代になり、太陰暦が廃止され太陽暦が採用された。
その結果、1月~12月と味気ない月名となりましたが、
以前の睦月、如月、弥生という言い方の方が季節感が感じるような気がしますね。
いかがですかね。