花祭りを知っていますか?
お釈迦様の生誕日は、4月8日(旧暦5月8日)です。
この日に、生誕の祝うのが花祭りなのです。
何故か、甘茶を仏像に掛けたり、振る舞われたりもしますが
- どうして花祭りというのか?
- この日に甘茶とは、どういうことなのか?
その本当の意味について調べて見ましたので、見てみましょう。
花祭りとは?
お釈迦様の生まれた日をお祝いすることを花祭りといいます。
どうして、花祭りと言うのか不思議ですね。
実は、花祭りと言われたのは、明治時代になってからで大正時代に一般化された。
それ以前は、潅仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)と呼ばけていた。
潅仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)という表現から、いかにも、仏教の行事という感じがしますが、今では普通に花祭りと言われています。
花祭りでは、お寺では花で飾った小さな花御堂(はなみどう)を作ってお祝いをする。
花御堂(はなみどう)には、誕生仏のお釈迦様の小さな像があり、参拝者が杓子で甘茶を注ぎます。
どうして、花御堂(はなみどう)を作るのかというと、それは、次のお釈迦様の誕生の逸話に関係しています。
お釈迦様の母が、出産のために里帰りの途中に休憩したルンビニの花園にて誕生しました。誕生してすぐに、立ち上がり七歩進んで右手を天に、左手を地に指して「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言ったら天龍が出現して甘露の雨を降り注いだ。
花御堂(はなみどう)を造り、これをルンビニの花園として見立てて、お祝いをすることで花祭りと言われているが
もう一つ、後押しがあったようです。
それが、ウェキペディアで次のように紹介されています。
4月8日は関東地方以西で桜が満開する時期である事から浄土真宗の僧侶安藤嶺丸が「花まつり」の呼称を提唱して以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。
本来の潅仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)のよりも確かに、浄土真宗の僧侶安藤嶺丸さんが提唱した花祭りと言い方の方が親しみのありますね。
では、どうして、甘茶を注ぐようになったのか、またどんな意味があるのかについて見てみましょう。
甘茶の意味とは
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言ったら、天龍が出現して甘露の雨を降り注いだ」という様子を真似して甘茶を掛けるようになった。
甘露の雨は、産湯として使われたという説話となっています。
つまりは、産湯として使われるために甘露の雨を降らせたのは、それだけ、凄い人だということを言いたかったのですね。
経典では、甘露の雨は香湯あるいは香水となっていて、平安時代は五種類の香料から作られた五色水(ごしきすい)や五香水という香水を使っていたのですが、江戸時代から甘茶を使いはじめるようになった。
五色水や甘茶を掛ける動作から、昔は潅仏会(かんぶつえ)と呼んでいた。
ちなみに潅という漢字は、注ぐという意味があります。
甘茶と言っても、砂糖が入ったお茶ではありません。
甘茶で有名なアマチャヅルでもありません。
アジサイ科のヤマアジサイの変種である小甘茶(こあまちゃ)から作られるのです。
そのままでは、苦いだけですが、葉を水洗いして天日干し乾燥し、その後、水を噴霧してムシロをかけて発酵させて。更に天日干し乾燥させると甘茶ができる。
このような少し手間の掛かる作業しすることで、砂糖より数百倍も甘い甘茶となる。
そして、この甘茶をお釈迦様の仏像に掛けたりします。
また、参拝者は、この甘茶を飲むことと厄除けができるという信じられています。
甘茶の意味としては、
産湯 → 甘茶を飲むと厄除けの効果
と転じている。
最後に
個人的な解釈ですが、
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言ったら、天から甘露の雨」となりましたるね。
この天上天下唯我独尊の意味は、自分の存在はこの世に一つであり、人間一人ひとりが宇宙にただ一つしかない命をいただいている尊い存在だという意味です。
そんな考えに、天が賞賛して、感激の涙として甘露の雨を降らせたのではないでしょうかね。
しかし、キリスト教のクリスマスなどは盛大にしているが、どうして、花祭りは今ひとつなのでしょうかね。
やはり、サンタクロースのような人がいないからですかね。