電車などを利用する際に、何度となく耳にしたことがあると上りと下りですが、
どうして、上り下りというのか不思議ですよね。
この上りと下りは、どんな基準で決められているかお分かりでしょうか?
その上りと下りの決め方やそもそもどういう意味から上りと下りが発生したのかということについてまとめてみましたので、一緒に見て行きましょう。
電車の上りと下りってなに?
「上り」電車は都市方面に向かう電車で、「下り」はその逆…というイメージを持っている方が多いのではないでしょうか。
確かにそれは間違いではなく、例えば新幹線だと、東京方面行きのものを「上り」としています。
しかし、より正確に言うと、もともと鉄道の起点、終点に沿った呼び方なのです。
鉄道は、国の認可や許可があって、建設されるのですが、その際に、起点と終点の届け出でが必要でした。
例えば、東海道本線だと、東京駅が起点、神戸駅は終点というように決めて届け出をすると、起点に向かう東京方面を「上り」、終点に向かう神戸方面を「下り」と呼ぶわけです。
鉄道路線は、国の認可のもと設定されており、そこで定められた起点に基づいて、「上り」「下り」は決定される、ということです。
それが、現在の電車で生かされているのです。
「上り」「下り」は鉄道、電車のみならず、高速道路などでもよく使われますよね。
実は、「上り」「下り」という呼び方は、道路の方が先でした。
では、その道路について「上り・下り」見ていきましょう。
道路の上りと下りはどうなっているの?
日本の国道は、東京・日本橋の「日本国道路元標」を起点にしています。
よって、東京方面が上り、反対が下りとなっており、高速道路も同様です。
とはいえ、例外もいくつかあります。
たとえば、国道122号は東京都が終点になっていますが、混乱を避けるため、終点である東京方面行きを「上り」としています。
更に、環状道路については「上り」「下り」という表現は使わず、「右回り」「左回り」、あるいは「西行き」「東行き」という表現が使われます。
次に、そもそも、交通の用語として使われている「上り」「下り」とは何なのでしょう。
上りと下りはそもそもなに?
「上り」「下り」が何なのかを知るために、言葉の歴史を見てみましょう。
元々、「上り」というのは、天皇のもとへ「上る」という意味合いを持ち、それゆえ都のある方面に行くルートを「上り」と言いました。
「上京」という言葉にも、このような認識の名残がうかがえます。
よって、都が京都であった頃は、東海道は京都方面が「上り」、東京方面が「下り」でした。
江戸時代は、政治の中心はもちろん江戸(東京)で、「将軍のお膝元」と呼ばれていましたが、天皇の居住地はあくまで京都でした。
しかし、明治時代になり、首都が東京に移り、このころ鉄道が建設されたのです。
よって、西方面が「下り」、東方面が「上り」と呼ばれるようになりました。
国土交通省の正式回答によると、大正時代の国道は、全ての起点は東京とされていたそうです。
しかし、現在の国道は、先ほど述べたように「起点」と「終点」が定められています。
国土交通省は、起点と終点の決め方について、以下のように述べています。
『起点と終点の取り方については、道路法第5条第1項に掲げる指定基準の各号で示されている重要都市、人口10万以上の市、特定重要港 湾、重要な飛行場または国際観光上重要な地などが「起点」に該当し、それらと連絡する高速自動車国道または道路法第5条第1項第1号に規定する国道が「終点」となるのが一般的な事例です。』(国土交通省公式HPより)
現在はこのような認識に基づいて「上り」「下り」という表現が使われるため、しばしば東京から離れていく方向なのに「上り」という表現が使われる、というケースもあります。
たとえば、中央本線の塩尻~名古屋間は、名古屋が「終点」であるため、名古屋行きは「下り」であるはずですが、
名古屋は道路法に言う「都市」に該当するため、名古屋行きが「上り」と捉えられているのです。
まとめ
今回、「上り」「下り」について見てみましたが、発見はあったでしょうか。
「上り」「下り」という独特の表現は、日本の歴史の中で使用されてきた名残であるとともに、意味が少し変化しているということが分かりました。
現在は「起点」「終点」を元に決められている「上り」「下り」ですが、やはり上りは東京行き、というイメージを持つ人もいまだ多いのではないかと思います。
人々の感覚と法制度の間に、少なからずギャップがあるということかもしれませんね。