今まで、七夕にそうめんを食べるなんて聞いたことってありますか?
私は、知りませんでした。
どうして、七夕にそうめんを食べるのかがとても不思議だったので、、、、
- 七夕にそうめんを食べる意味の由来
- 同時にそうめんがどうして生まれたのか?
などを調べて見ましたので、一緒に見てみましょう。
七夕とそうめんの関係とは
七夕と言うと、五節句のひとつで、七夕飾りと天の川伝説が有名なので、そうめんとの結びつきが感じられません。
がしかし、日本の伝統的な行事には、必ず食事が付き物です。
例えば、
- お正月→お雑煮
- 端午の節句→柏餅
- 冬至→カボチャ
七夕にそうめんが付き物と言うことは、あまり聞かないのです。
あまり、有名でもなにか意味があるから、そうめんとなっているのでしょう
早速、調べてみますと、平安時代の宮中行事の一つが由来とのこと。
平安時代の書物(『延喜式』)によると
「七夕にそうめんを食べると大病にかからないと書かれ、宮中で食べられ一般に普及したと伝えられています。」
すなわち、無病息災の意味があったようです。
そのいわれは?
もともと、このルーツは、中国にあるようです。
暮しの歳時記サイトによると、
古代中国に「7月7日に死んだ帝の子が霊鬼神となって熱病を流行らせた。そこで、その子の好物だった索餅を供えて祀るようになったことから、7月7日に索餅(さくべい)を食べると1年間無病息災で過ごせる」という伝説があり、奈良時代に索餅が日本に伝えられると、麦の収穫期に麦餅を作る風習とともに宮中行事に取り入れられ、一般にも広がっていきました。やがて、索餅(さくべい)はそうめんへと変化し、七夕にそうめんを食べるようになりました。
と記載されています。
ここで、索餅(さくべい)がどうして、そうめんに変化するのかが不思議です。
その前に、索餅(さくべい)と言うのは、一体なんなのかわからないですね。
ウィキペディアによると
索餅(さくべい)とは、古代中国から奈良時代ごろには仏教伝来とともに日本に伝わった唐菓子の1つで素麺の祖となったとも言われている食品のこと。縄状の形状より麦縄(むぎなわ)とも呼ぶ。
となっている。
つまりは、お菓子のことのようです。
では、お菓子がどうして、そうめんに変化するのか?
余計にわからなくなりましたが、意外な答えがありました。
そうめんとお菓子の索餅の関係
(出典画像:やわた走井餅老舗のブログhttp://blog.yawata-hashiriimochi.com/?eid=1581110)
めんと和菓子のルーツ 索餅(さくべい)のホームページでは、
2009年10月30日 定例講座No.479「日本の食文化の真髄 納豆」NPO法人神田雑学大学から誕生した、蕎麦のソムリエの「江戸ソバリエ」でもある松本さんは、2011年に『めんと和菓子の夜明け 索餅の謎を解く』という本を出されました。 「日本料理は世界の文化遺産である。うどん、そうめんのルーツは奈良平安時代の『索餅』(さくべい)だといわれているが、
どんな食べものなのか? 俗説、誤説が横行している。索餅とは、小麦粉に米粉を混ぜ、蒸してから細く切っためんであり、
それを縒って揚げ、お菓子にもしたものである。
とお話していますが、
結論から言うと、索餅(さくべい)はやはり、今も昔もお菓子とのこと。(写真参照)
それでは、どうして、そうめんに変化したと言われているのか?
どうやら、小麦粉を使用しているのと、形状が似ている点からそうめんを代用したと推測される。
これも、めんと和菓子のルーツ 索餅(さくべい)のホームページから引用すると、
中国では唐代(7世紀以降)から、グルテンの力を活用した「小麦粉めん」が爆発的に普及した。「麺(ミェン)」という漢字は、もともと「小麦粉」という意味だったが、めんが普及してから、「めん」という意味でも使われるようになった。
「小麦粉めん」は、日本に平安時代末ごろ、おもに道元ら禅僧によって伝えられた。これが現代日本のうどん、そうめんの直接の先祖である。コシが強く、調理の応用範囲が広く、保存性がよい「小麦粉めん」は、「めんの索餅」をすみやかに駆逐した。
と書いてあり、小麦粉めんがかなり、普及して、原材料と形が似たことで、
そうめんとなったことがなんとなく分かりますね。
- 索餅(さくべい) ⇒ 今でもお菓子
- そうめん ⇒ 最初からそうめん
終わりに
今回の七夕とそうめんのことで、いかに日本人が、形式を重んじながらもより簡単な方法を導入して形式的に整えたのかが伺えました。
独創的な発明は、今ひとつですが、改良することは、昔から得意だったようですね。
今夜は、のどごしのいいそうめんを食べましょう。