現天皇が生前退位を表明して以来、新元号の話題となっていますね。
2019年1月4日に安倍晋三首相の年頭記者会見で、新元号を4月1日に公表すると表明していました。
もしかして、もう元号が決まっているのでしょうかね。
実は、元号の決め方には人知れずに進められていることや決め方には一定のルールがあることをご存知ですか?
今回は、元号の決め方とルールについて調べてみましたので、一緒に学んでいきましょう。
元号の決め方とルールとは
すでに、知られていますが、2019年4月30日に現天皇が退位して、翌日5月1日に新天皇が即位します。
昨年の生前退位の表明をしてから新元号の候補が選定作業は着々と進めているようですね。
元号の選定の仕組み
元号の選定の仕組みを見てみますと・・・
まず、新元号の選定実務に係わる政府職員の数人が、候補名ごとに考案者、出典、意味をセットして担当部署の専用金庫に厳重に保管され、この中から最終候補の元号を絞り込んでいきます。
なお、新元号の候補名は、首相から委嘱された中国古典学者らが2~5個の案が作られる形ですね。
この候補名の中には、基本的には、亡くなった方が考えた元号は使わないという暗黙のルールがあるが、それらもストックされているとのことですよ。
知らない間に着々と進行しているようですね。
候補元号名選定ルール
では、ストックされた候補の元号はどのように選定されていくのかをみてみましょう。
まず、元号の選定の仕組みをまずは簡単に見てみましょう。
ザックリとお伝えするとこんな感じです。少しだけ詳しく掘り下げてみますね。
実は、新元号の選定手続きの6要件は、1979年に制定された元号法に「元号選定手続き」の要領で決まっているのですよ。
6つの要件については、「漢字2文字で書きやすくて読みやすい」という三拍子が揃っていないと国民に浸透しませんので、ある意味必須条件ですよね。
同時に、「俗用されていない」「これまでに元号や贈り名(追号)として用いられていない」というのは、新しくて価値ある元号にしないといけませんので、これも重要なチェック項目と言えます。
しかし、「国民の理想としてふさわしい良い意味を持つ」という部分はかなり難しい要件ですね。というのも、国民の理想がどんなものかわからないからです。
となると、この要件は、元号がどこから生まれたのかという根拠として、中国古典から元号としてふさわしい良い意味を持つものと判断するのでしょうか。
いずれにしてもわかりにくいですが、最終的な判断は元号決定のながれの中で決めていくのでしょう。
さらに、上記の6要件ほかに色々な留意点が付加されています。
- イニシャルが明治(M)、大正(T)、昭和(S)、平成(H)と重複しない
- 物故者(死亡した人)の案は採用しない
という元号の候補と選定ルールとなっています。
となると、元号は「書きやすくて読みやすい漢字2文字で、しかもイニシャルがM,T,S,H以外」となるようです。
そして、国民の理想としてふさわしい良い意味を持つという元号の根拠となるものがなんであるのかも吟味されると思います。
それについては、元号をだれが決めるかで議論されようですので、次の「元号はだれが決めるのか」をみてみましょう。
元号はだれが決めるのか
候補の元号について、どのようにしてだれが決めるのかは大変気になりますね。
これは、元号の決定のながれの各段階でどんなやり方をするのかをみてみるとわかるようです。
元号決定の流れ
- 候補の元号の有識者懇談会で意見交換
内閣の官房長官が有識者懇談会を開催して、候補の元号の原案について意見を求めて、首相に報告。
※この段階である程度、絞られた元号になっているようですね。 - 首相の選定元号の吟味
「首相が衆参両院の正副議長から意見を聴取する」ことになっていますので、この段階でほぼ元号が決まっていると推測されますね。 - 閣議決定
「全閣議で協議して、新元号を決定する」と規定で、閣議の全会一致として政府決定事項とするのですね。
ということで、元号をだれが決めるのかというのは、最終的に、政府が決めていることになっていますね。
がしかし、官房長官と有識者懇談会の意見交換をする前にいくつか選定されていると思われますので、この段階で選定している担当部署がなんとなくある程度決めているような感じがしませんか。
個人的には、せめて、国民投票で決めるという方式もいいのではないかと思いますが、それは、ないようですね。(;^_^A
ちなみに、明治の元号は、明治天皇自身が候補の3案の中からくじ引きで決めたので、それはしないでしょうね。
ところで、今は、「天皇が退位したら元号が変わる」というのは、法律で決まっていますが、昔は、そうとは限らなかったのです。どんな理由で変えたのかみてみましょう。
元号の改元理由
元号の改元はどんな理由で行われるのでしょうか。歴史を振り返ると全部で3つありますので、それぞれご紹介します。
1.代始(だいはじめ)改元
天皇の代が替わることでの改元
2.祥瑞(しょうすい)改元
めでたい前兆などがあることでの改元
平安時代の初期の「大宝」、「慶雲」、「神亀」、「宝亀」など改元、いかにもめでたいという元号です。
3.災異(さいい)改元
災害や疫病、戦乱などにる改元
平安時代の中期には、長雨やはやり病で「延長」と改元、ハレー彗星の出現で「永祚(えいそ)」と改元しています。
これらの理由による改元は、平成までに247回あって、その中で多く使われた漢字のトップ5は次の通りです。
1.永・・・29回
2.元・・・27回
2.天・・・27回
4.治・・・21回
5.応・・・20回
となっています。
果たして、今回は、上記の漢字一字は使われるのでしょうかね。
ちなみに、元号が庶民まで浸透したのは16世紀からでした。この頃は全国に広がるまで1年くらいかかっていたそうですが、江戸時代には藩のお触れ制度あって、わずか2~3週間でほぼ広がったようですよ。
さて、今でも元号を廃止して西暦に統一した方がいいのではという声があるようですよ。
西暦は、キリストが生まれた翌年を紀年としています。
実は、日本にも似たような紀年があります。それが、皇紀○○年というものです。
皇紀○○年の採用はどうなの?
皇紀は、明治政府が定めた日本独自の紀年なのです。
その紀年は、古事記と日本書紀の記載から西暦紀元前660年と決めました。
西暦を皇紀に変換するサイトで、今年が皇紀○○年なのか確認してみると、
今年2019年は、皇紀2679年
となりました。
西暦のように使えるような気がしますが・・・
どうして皇紀○○年が使われないのでしょうか、ちょっと疑問ですよね。
皇紀○○年が公式に使われないのはどうして?
ウェキペディアによると、次のように記載されています。
戦前(第二次世界大戦前)の日本では、単に「紀元」というと即位紀元(皇紀)を指していた。条約などの対外的な公文書には元号と共に使用されていた。ただし、戸籍など地方公共団体に出す公文書や政府の国内向け公文書では、皇紀ではなく元号のみが用いられており、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戦後(第二次世界大戦後)になると、単に「紀元」というと西暦を指す事も多い。現在では皇紀を見る機会はほとんどなく、日本政府の公文書でも用いられていない
ということは、戦前までは、公文書などにも使われていたようですね。しかし、戦後は、西暦に変わったようです。
戦後の民主主義が徹底されて、主権は国民、天皇は象徴と位置づけしたので、皇紀○○年は影を潜めたのでしょうね。
そんな状況でも、元号が残ったのは、ある意味不思議ですね。
まとめ
元号の決め方には、流れやルールがあったなかで決めていくのですね。特に、イニシャルが被らないというルールについてはも個人的に面白く感じました。
元々、元号のルーツは中国ですが、現在、唯一使用しているのが、日本だけでその元号を使って時代の事柄や現象を表すようにしているのは、日本人の特性なのかもしれませんね。
今回、新元号を2019年4月1日に発表することになりましたが、果たして何になるのでしょうかね。
なんだか、平成の元号がなくなるのが寂しい反面、どんな年号になるのかという楽しみもあります。
どのような元号であれ、いい時代になることを期待しましょう!(^^)!